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本日はお日柄もよく。

絵をかいたり語ったり酸素吸ったりしてます。

つげ義春と久石譲。「感性」のはなし。

本のはなし ちょっと語ってみた

 

前々から読もうと思っていた、つげ義春さんの漫画を読みました。全集の6です。

 

つげ義春全集 (6)

 

収録作品は以下の通りです。

  • ねじ式
  • ゲンセンカン主人
  • 夢の散歩
  • アルバイ
  • 雨の中の欲情
  • 夜が掴む
  • コマツ岬の生活
  • 外のふくらみ
  • 必殺するめ固め
  • ヨシボーの犯罪
  • 窓の手
  • 夏の思いで
  • 懐かしいひと
  • 事件
  • 退屈な部屋
  • 日の戯れ

 

「夜が掴む」「外のふくらみ」「窓の手」は個人的に面白かったです。「世にも奇妙な物語」とか、星新一さんの世界に出てきそうな感じ。奇想天外だけどミステリアスで面白い。「ネジ式」もややそんな印象。

その他の作品は、個人的にはあまりよく分からなかった。ただ、読んでいて「純文学の雰囲気に近いな」と思った。

 

契機について 

 

つげ春義さんについては、たびたび名前を目にしていたので、いつか読んでみようと思っていました。

それで最近、感性について調べていたところ、あるブログで「つげ春義のシュールさを受け継いでいるのはラーメンズだ」という記述を目にし、更に読みたくなったのです。

ラーメンズの笑いは、普通のお笑いとなんかちょっと違いますよね。なにかこう…普遍的なものの中に非日常感を埋め込んだごく僅かな差異が笑いを生んでいるというような…なかなか言葉にしづらい面白さがあると思います。初めて見たときには、こんな演劇的なお笑いがあるのか!と衝撃でしたが、美大出身と知って「ああ、なるほど」と思いました。

 

ところで、最近こんな本を読んでいます。
久石譲さんの「感動をつくれますか?」と言う本です。

 

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

 

久石さんといえばジブリの音楽でお馴染みですが、この本は興味深い内容です。今までわたしがたびたび悩んでいたことについて、正にこれだ!というようなことをばっさりと回答されていたりして、読み進めるたびに「おお…」と感嘆します。

それは例えば、「本当に表現したいこと」と「世間が求める表現」に差異があった場合、どちらを選ぶべきなのか…など。自分が表現したいものを創るべきなのか、それとも「売れる」ものを創るべきなのか…そんなことにも言及しています。

それで、この本の中にはこんな記述があるのです。

音楽も文学も映画なども、時間の経過のうえで成り立っているものは、論理的構造を持っているということだ。
それに比べて、絵は作品が表現するものが見た瞬間に分かる。瞬時に世界を表現できる力がある。時間の経過を伴わない分、論理的なものより感覚に直に訴える。だから、絵の人は考え方や行動においても、感覚的なものが突出する面が強いらしいのだ。

 

一言で言って、やはり美術系の人は「なんか頭オカシイ」ってことですね…(笑)
尤も、ここでいう美術系というのは結構ガチなタイプの美術系だと思うので、いわゆる絵描き全般がそうかというとそういうわけではないと思います。個人的には「それ」と「それっぽい」の間には万里の長城ほどの差があるかと…。

関係ないですが、バナナマンのコントもなかなか個性的でシュールな感じがします。なんでもライブのチケットはすぐ売り切れるとか…さすがです!

 

感性とニーズ

  

閑話休題つげ義春さんの作品にはまだ一部触れたばかりなのでなんともいえないですが、少なくとも「そういえば表現ってルールに雁字搦めにされるものではないよなぁ」という気持ちにさせられました。

わたしにとってこの漫画群は本当に純文学だった…まさに「私小説」ならぬ「私漫画」だった。やたら背後から人妻を襲うシーンが多くほぼ全話そういう描写があるものだからどんだけ人妻が好きなんだこの人はと思ったがそれはともかくとしても私漫画だった。

 

例のブログの管理人さんが、シュール作品はコアファンがいるものの「売れないから」取り上げてもらう機会がなくなかなか広がらない、というようなことを書かれていました。
シュール漫画…現代でも描いている方はいるだろうけれど、全体的にはニーズはすくないのでしょうね。

 

ここでまた久石さんの本の話に戻るのですが、世間のニーズにかかわらず自分が表現したいものだけを追求する人こそ「芸術家」で、ニーズに合わせたものを表現する人はビジネスマンなのだそうです。

わたしは常々、普通の感覚が理解できるひとがなぜ表現者になるのだろうと疑問に思っていました。けれど久石さんの言葉で納得しました。そうだ、彼らはビジネスマンだったのだ。

 

それで久石さん自身も芸術家ではないと仰っているのですが、かといって、聞き手を感動させようと思って作っているわけでもないらしいのです。

え、それがニーズじゃないの?と思いましたが、プロジェクトで求められているもの(むしろそれ以上のもの)を汲み取って提供することを重視しているそうで、これはエンドユーザーではなくクライアントのニーズに応える、ということですね。

クライアントのニーズ…これは取引して初めて成立するものですよね。個人がネット上で表現する場合には当てはまらないけど…「時代の空気を読む」というのがそれに相当するのかも。尤も時代の空気を読みすぎて二番煎じだらけになると途端に市場がつまらなくなるけど…

 

表現したいものと世間のニーズが合致している方は幸福だなと思います。逆の場合は辛い…。
でも一番辛いのはやはり、ごく少数のニーズは確実にあるものの商業的に成功しないことですね。まさにシュールのそれそのもので…

辛いことがあったとき、苦しすぎてもう耐えきれない!というほうがまだマトモです。むしろ、苦しいのになんとなく耐えられてしまう方がもっと残酷でツライのです。生かさず殺さずと同じなのです。生ぬるい生地獄なのです。まさにそんな感じ。

 

さいごに…

  

どこが感性のはなしなんだか自分でもよく分からなくなりましたが、お二人とも「ああ、この人だな」といえるような感性の持ち主だと思います。そもそもなぜ久石さんの本を読もうと思ったかといえば、感性は磨けるのだろうか?と疑問に思ったからです。

 

今の時代、いろんなマニュアルがあります。
例えば漫画は、クオリティさえ求めなければソフトの使い方を覚えるだけで一応は描けます。配布されたキャラ素材を配置するだけで漫画が作れる!というサービスまであります。それらはすべて技術で、学べば習得できるはずです。

で、じゃあ、全員が均一の技術でかいたらどうなるの?

ストーリーにだって、絶対売れる王道とか、売れ筋とかがあります。売れるキャラづくりだって技術として流通しています。

じゃあ全員がそれを詰め込んできたらどうなるの?

 

最後の最後に「それ」が唯一無二のものとなる「決め手」はなんなのか?

 

それはもう感性なんじゃないか?と思ったのです。
ただそれだけのはなしです。
因みに感性は磨くことができると久石さんは仰っています。 

 

 

今自然と「唯一無二」という言葉が出てきて思いだしたけど、25歳くらいの頃わたしは毎日毎日憑りつかれたように小説をかいていて常にこの「唯一無二」ということをテーマにしていたのだった。ああそうだぁ…思いだした…。
結局いつもこれか…。
今若干自分自身にガッカリしたけど、結局そこがネックなのだとはっきり分かりました。

 

 

感性をもっと磨きたい!という方、久石さんの本をよんではいかがでしょうか。つげ義春さんの本は好みがばっさり別れそうですが…

では、、 

  

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

 

 

  

つげ義春全集 (6)

つげ義春全集 (6)

 

 

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